アルゼンチン、選手の姓の順でつけるアルファベット

1986年のワールドカップまで、アルゼンチンサツカー協会は背番号を選手の姓の順でつける習慣でした。あのマラドーナが10番をつけたのは例外だったのです。

ロッカールームでの験かつぎや選手の扱い、上下関係などを考えると、背番号の割り振りは各国サッカー協会にとって頭の痛い問題でした。だが、アルゼンチンサッカー協会(AFA)は、いい方法を思いつきました。1974年、1978年、1982年のワールドカップで、選手の姓のアルファベット順に背番号をつけることにしたのです。たとえば背番号1は、1978年には攻撃的のノルベルト・アロンソ(愛称べ卜)、1982年にはオスワルド・アルデイレス、1986年にはストライカーのセルヒオ・アルミロンがつけました。GKのウバルド・フイジョールは最初12番、それから5番、7番になっていました。FIFAは今ではGKが背番号1をつけるように、と言っているのですが。

だが、1982年にはこのアルゼンチン独特のルールにいくつか例外が生まれました。1974年に13番だったマリオ・ケンベスは、1978年にアルゼンチンが優勝した時につけていた10番を、1982年にもつけるはずでした。そしてマラドーナが12番になるはずだったのですが、この国民的ヒーローが10番を手に入れ、ケンベスは結局11番になったのです。そして、1986年のメキシコ大会で、アルファベット順はほとんど崩れ去っていました。キャプテンのダニエル・パサレラが、クラブでとても縁起のよかった6番を要求し、ホルヘ・バルダーノは11番を欲しがったからです。AFAはついにおれました。だが、それで万事うまくいっていました。ユニフォームの色から「アルビセレステ(白 と空色)」と呼ばれるアルゼンチン代表は、この年、名誉あるワールドカップのトロフィーを再びかかげることになったからです。

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